出典「東京市教育施設復興図集」東京市発行
明石小学校・幼稚園 History

  現校舎・園舎
起工
竣工
建設会社
設計士


総工費

大正 14年 6月15日
大正 15年 8月28日
竹田組(現 株式会社 
平塚 竹田組)
原田 俊之助
(他に泰明小学校・月島第二小学校・江東区立明治小学校・松竹大船撮影所等を手掛け現存しているのは泰明小学校・明石小学校他不明)
458000円(当時うな丼50銭の時代)
その他、当時学校関係者、町会からも寄付を大分集めた様です。

  
建築様式

表現派の面影があります。

  
校舎・園舎にまつわる歴史

大正12年9月の関東大震災後東京市に117の復興小学校が建築され、その第一次計画の中で明石小学校は建設されました。

建築にあたり、当時第4代落合校長の希望により、「丸柱と丸柱の上を歌舞伎座のようにしたい」とのことで実現しました。

昭和6年4月校舎内に幼稚園が設立。

最も生徒数が多い年は、昭和18年で小学校全員で1374名、25学級でした。

その後の太平洋戦争では、聖路加病院の隣に位置していたので、焼失からまぬがれるという奇跡の建物となりました。
(最も爆撃の余波で窓ガラスは一枚もなくなったそうです)

昭和20年8月日本の無条件降伏により、同年9月には明石小学校・幼稚園は連合軍に接収されてしまいます。

昭和28年7月には念願の連合軍校舎接収は解除となりました。
(接収により明石小学校・幼稚園の存続が危ぶまれた時期があったそうです)

2008年 明石小学校は創立100年を迎え、幼稚園は創立77年を迎えました。

引用:「47年の歩み」中央区明石小学校校舎返還復興事業協賛会

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